【2人目不妊治療】2019.2.19 うまくいかないことが当たり前に思える
※2019年2月に書いた記事の転載です
ありがとうございましたと診察室を出ようとして、
ふと気になったことを聞いた。
ドクターは答え終わるとすぐ私から目を逸らし、パソコン画面を注視した。
ああ、この人もこの結果を本当に悔しいと思ってるんだなと
何となくそう思った。
2/12(月)、受精卵がどうなったのかを聞きに受診した。
もともと整形の予約が入っていたので、
どちらが先かによって話は変わるなと思いながら
不妊外来待合で待った。
期待なんて抱いてはおらず、
今後どうするかが想定した私のメインの相談だった。
この日の外来の担当は、主治医の敏腕貧乏ゆすりドクターと
ここまで何度も外来担当してもらい一緒に悩んできた女医さん。
こんな日は貧乏ゆすりドクターから呼ばれる率が高い。
困難な事態は、彼から告げられることが多い。
やはり私の番号が光ったのは彼の診察室で、
でも直接ICSIに関わってくれたドクターが話してくれるのだから
カルテ記載事項の説明をされるよりはいい。
「残念ですが9つすべて全滅です。」
私は彼の前では泣かない。
過去データを見ても受精率が低く、受精障害だろうとのこと。
どう考えてもそうだよね。
卵はグレードMⅡで良好なのに対し、精子が悪く明らかな精子因子の受精障害。
でも同じ時に採ったもので、妊娠もしているし胚盤胞になるものもあったので
可能性はなくはない。
次回採卵は全力で取り組むと言われ、
その全力、もっと早く注いでほしかったなとちょっと思うくらいには荒んでる。
やはり次回の採卵で、凍結精子を残っている2本とも開けることになった。
その上で精子にはペントキフィリン処置(不動精子の生死を判別し、生きているものを活性化させる処置)をし、
受精卵にはAOA(卵子活性化処理)としてカルシウムイオノファ処理を施すことで
胚盤胞達成率を上げるということになった。
受精障害の約50%の原因は、
つまりは、処置をすることで卵子をの活性化能力の低い精子しかいなくても
妊娠できる可能性が上がるということ。
考えてきますか?と聞かれたけど
+2~3万で妊娠できるなら、そのくらい払います!とその場で同意書にサインをしてきた。
次回の採卵は病院の都合で3カ月以上空けねばならず、
5月の生理開始したら受診することになった。
私、あと何したらいいですか?
私ができることは何があります?と聞くと
こちらを向くことなく食い気味にドクターは言った。
「こぶたさんはもう十分頑張ってます。このカルテ見れば誰にだってわかります。
頑張らなくていい。もう十分やってる。
今のまま!今のままの生活を続けてください。
あとは僕たちがどこまで頑張れるかです。僕たちが頑張ります。
次、やらせていただけるなら全力で頑張ります。」
私を追い込むまいとの心遣いの言葉なのは知ってる。
だけど何か何でもいいから何か、
私にできる検査でもサプリでも何でもいいから言ってほしかったな。
化学流産のことを聞いてみた。
「あの時、姪っ子と息子が同時に飛び掛かってきて、
あっと思って16キロを2人同時に受け止めた直後に出血したんです。
重いもの持ったのがいけなかったんですか?」
「重いものを持ったくらいで流産はしません。
母親の日常の生活でする流産はありません。
こぶたさんのせいじゃありません。
卵にそこまでの力しかなかった、それがたまたまその時だっただけです。」
ありがとうございましたと席を立って、
ふと質問した。
「先生、受精してた1つは何分割までいったんですか?」
「…4~6分割かな。本当は状態がもう少し良ければ、
今日このままここで移植しようと思ったんだけど
朝確認したらフラグメントが多すぎて、培養士と相談して
育つ見込みがないからやめようってことで僕が中止を決断しました。」
一気にそれだけ言うと
もうドクターはこちらを見なかった。
見れないんだなと何となく思って、
「じゃ、今朝まで生きてたんですね。ありがとうございました。」
と診察室を後にした。
大きく深呼吸ひとつして
整形のフロアに下りると、すぐに呼ばれた。
入るなりドクターは
「で、体調はいかがです?」
頭の中が整理できず、
「えっと、体調は・・・妊娠はしてません。うん、してませんよ。」
と2人で苦笑いした。
難しいんですねとドクター。
そうだ、この人は専門は違えど整形医じゃない?
ふと思い立って聞いてみた。
「先生はご存知ですか?脊髄損傷男性の造精機能が経年劣化著しいこと。
脊髄損傷男性の多くがそれを知らないんです。
実際に挙児希望してから、うちのように困難化したり
知り合いは受精障害で結局子どもを諦めました。
簡単にできる脊損夫婦ももちろんたくさんいます。
でもみんな挙児希望の脊損男性の挙児率が50%ということを誰も知らない。
みんな興味があるのは勃起するかしないかで、
中身がどうなるのかなんて気にもしないんです。」
「神経を損傷するとどうなるかでおおよその想像はつきますが
正直知りませんでした。」
私の知りうるすべての知識を絞り出し伝えると、
脊椎の専門医に情報提供として出せば
そこから必要な人に必要な情報が届くかもしれないし
患者の将来設計の選択肢が広がるかもしれないと。
多くの整形医の関心はipsによる脊髄の再生の方であり
今の患者の生活ではないことが多いという。
「ipsで生殖も賄える時代が来ればいいんですけどね」
とドクターが言うので、
「私はその頃もう妊娠適齢期を過ぎてますね。」
とだけ言っておいた。
その後のエコーでは7月より腫瘍は縮小していました。
ホルモン補充周期であんなにホルモン剤を投与して
こんなに腫瘍がメリメリバリバリ動いてるのに
なんで縮小なんだろう。
この腫瘍は謎に包まれているということで毎回話は終わる。
「僕は次回に期待してますよ。」
誰も期待しないで。
うまくいかない未来しか見えない私に期待しないで。
そう思いながら、笑顔でお辞儀して診察室を後にした。