happypig~障害夫婦生活雑記~

障害者夫婦なんて、世の中にそうある組み合わせで脊髄損傷車椅子旦那の夫と突き抜けすぎてる妻、そこにぽっこり産まれてきたこどもの生活を描ていきたいと思います ☆

くうたと社会の障害者観

むすこにとって、パパはパパでしかない。

決して”車椅子の’’パパではない。

 

 

車椅子は、パパの付属でしかないし

移動手段でしかない。

 

 

 

けれど、うちから1歩出れば

世間の目は車椅子の”パパになり、車椅子は注視される

 

世間と彼の認識の解離した部分

うちの4歳は気づき始めている。

 

 

 

それは、恥ずかしいことではないけれど

他人と違うということが

くうたには、むず痒いのだ。

 

 

 

くうたは決して間違っていない。

くうたの認識は決して間違っていない。

パパはただのパパでしかない。

 

 

 

車椅子のパパなんて、

世間ではまだまだ珍しく受け止められるけれど

子どもにしてみりゃパパでしかない。

 

 

 

だけど、世間の目を変えることは難しい。

彼はこれから先きっともっと色んな疑問を抱いて生きていくことになるだろうな。

 

 

 

男性脊損いる生殖家族の場合、

不妊治療・車椅子育児・子どもに対する障害理解教育は切り離せない場合が多いと

私は勝手に思ってる。

 

 

でもそれも一概に、脊損パパさんはみな同じ!とはいかない。

 

 

受傷してから結婚出産した場合と、

結婚後に受傷し子どもができた場合、

もう子どもがいる状態で受傷した場合では

状況は大きくことなる。

 

 

受傷後に子どもが出来たパターンと

子どもが生まれてから受傷したパターンでは

悩みもまた変わってくるだろう。

 

 

 

子どもが生まれてから中途で障害を負った場合は

パパ自身やママの障害受容や

これまでの障害者観が子どもの考え方やメンタルに大きく影響を及ぼすだろう。

それはどもの成長段階に応じても変わるだろう。

 

 

 

 

たとえば、ひとつのクラスに20人の子どもがいるとして

その20人のうちの誰かが

将来、車椅子に乗るようにならないとは言いきれない。

そのうちの誰かの親が、中途障害にならないとは言いきれない。

 

 

大きく絶望するのは、

障害者の生活や車椅子の世界を知らないからというのも

少しはあるのではないか。

 

 

 

ならば、その20人に

今のうちに、障害者の生活はそれなりに大変だけど

それなりに楽しいこともあること、

結構みんな大変さを抱えながら、工夫して普通に生きてること、

周りの人の無理解に苦しめられることもあること、

周りの人の親切に温かい気持ちになることもあること、

車椅子にもカッコイイものがたくさんあること、

なんていう、

これまで車椅子にならなきゃ垣間見れなかった世界をちらりと見せてあげれば、

自分の身に振りかかった時に

浮き沈む高低差を少なくできるんじゃなかろうか?

 

 

 

障害者に会ったとき、戸惑わずに済むのではないか。

 

 

 

何故そうなのか?の、理屈さえわかってれば

車椅子駐車場が必要な理由も

エレベーターが必要な理由も

想像できるようになるんじゃないか。

 

 

 

人は誰でも自分の経験則で物事を判断する生き物なんじゃないかと

その傾向の強い私は考えている。

 

 

 

 

くうたも私も身近にパパがいるから

脊髄損傷で車椅子の人の生活は何となくわかっている。

 

 

 

 

でも電動車椅子の人のいる生活は私もくうたも知らない。

杖の人のいる人の生活も、耳の聞こえない人、目の見えない人のいる生活も知らない。

 

そんなもんなんじゃないかと思ってる。

いろんな人がいることを知るってことは

人と違ってもまぁいっか!と自分を認めることにも繋げれるのではないかな。

 

 

 

せっかく私は人の知らない世界を、

車椅子ユーザーでもないのに知ってるんだから、それを人に伝えない手はないし、

それが巡り巡っていつか少しだけ社会が変わったとき、

その時に車椅子のパパやママ、その子供たちに対する目も変わっていくことにならないだろうか?

 

 

 

くうたが感じるむず痒い、社会と自分の価値観の解離を

いつか埋めれるきっかけにはならないか?

 

 

その時くうたはもう子どもではないかもしれないけれど、

その時にはその時で、車椅子の誰かが親になっているだろうし

その子どもがそのむず痒さを感じずにいれるように

何かしなくちゃいけないなと思う。