車椅子親の子ども
最近、私が籠にドサッと入れてる障害理解関連の絵本や資料に興味を示すくうた。
時々彼に聞かれるがままに
それが彼にとって良いのか悪いのかわからぬまま
障害理解や障害者観の話をしています。
(学生時代の卒論テーマがその辺の話でした)
母 「なんと!世の中のほとんどの人が、
車椅子の人が結婚するってことを知りません!!」
くうた「えーーー!!!なんで?!」
母 「なんと!車椅子の人に子どもがいるなんて知らない人ばかりなんだよ!!!」
くうた「えーーーーーー!!!!!なんでぼくだけなの?!」
母 「でもほら、バスケに行くと居るお兄ちゃんたちもパパ車椅子よ?
○○君もでしょ?ママ車椅子だよね?」
くうた「あ、そうだったね♪わーい良かったぁ~」
資料見ながら、絵本見ながら
「車椅子クイズしてー♪」とか「この本読んでー」
くうたは「良かった」と言います。
車椅子親がの子が自分だけじゃないことを良かったと。
車椅子親をもつ子どもの気持ちは
彼らにしかわかりません。
そしてもちろん、
そんなことは気にしない子もいれば
なんで自分だけ?と不思議に思う子もいることでしょう。
生まれた時から車椅子親を身近に感じてる子にとって
偏見は生まれないのではないかと思います。
ですが、周りと自分との認識の違いや態度の違いに
成長に伴い、思うところも出てくることでしょう。
聴覚障害の親の聞こえる子どもをコーダと呼び分類し、
研究対象にもなっているそうですが
車椅子親の歩ける子どもたちは
周囲から「きっと優しい子に育つよ」と微笑まれるに過ぎません。
彼らには彼らにしか分からないであろう
葛藤があるかもしれないのに
「成長とともに受け入れていくでしょう」
となることが不思議でなりません。
周りのお友達から見れば
ある種の特殊家庭に生まれた彼ら。
似たような境遇のお友達も必要なんじゃないかな。
そんなふうに思うのです。
だって自ら選んで子どもを持った親達ですら
車椅子パパ仲間、車椅子ママ仲間を
探しているんですから。