happypig~障害夫婦生活雑記~

障害者夫婦なんて、世の中にそうある組み合わせで脊髄損傷車椅子旦那の夫と突き抜けすぎてる妻、そこにぽっこり産まれてきたこどもの生活を描ていきたいと思います ☆

【2人目不妊治療】2017.1.30 不妊女と家系調査

●2016年の過去記事です。

 


お盆生まれはご先祖に護られてる、繋がっているって誰がいってたんだっけ?

誰か遠い親戚にそんなこと言われたなぁって

ふと思い出したのです。

 

赤ちゃんが欲しいタイミングで

どういうわけか毎度、家系を調べる運びになる。

 

 

 

くうたの不妊治療の直前は

色々あって私の実家について、家系調査をすることになり

戸籍や古い書物を読み漁り祖父母の人生と、祖父の兄たちの人生を

少し垣間見ることができた。

 


で、今回は私の家系調査も終わりきってないうちに

(遠すぎる&幼児がいると現地調査に入れなくて難航)

今度は旦那の家系を調べることになった。

 

代々旦那の家は移り変わらずで

私は旦那の地元の隣街に住んでるから

現地調査は楽だけど、この地域に関する予備知識のなさに難航( 一一)

 

 

ふと考える。

 


途絶えた人達は、どんな気持ちだったのだろうと。

子孫を残さず途絶えた人達は怖くなかったのかな…と。

 


養子をとり、嫁をわざわざ本家からもらってまで

家族の誰かを犠牲にしてまで

先人が後世に残したかった“家”や “血筋”。

 

 


私の家にも旦那の家にも、先が途絶えた人がいた。

 


結婚せずに中国大陸で戦死した大伯父。


結婚したばかりの妻を残して、ビルマで散った大伯父。


そこそこの富も名声も手にしたのに、未婚のまま若くして急逝した義叔父。


火災で子どもを亡くし、そのまま途絶えた分家。

 

疫病だったのか妻子が次々相次いで同時期に亡くなってしまった人。

 

 


途絶えた人たちのことは誰が思い出すんだろう?

誰の遺伝子にも生きた記録は受け継がれない。

記憶にも遺伝子的にも残らず

ある意味、淘汰されていってしまう存在なの?

 

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一生懸命生きたはずなのに。

 


子どもが居なかった頃の私は自分たちもそうやって

過去の歴史にも残らず、誰の記憶にも残らず

藻屑のように暗い海の底に消えるのかと思うと淋しかった。

 

 


旦那に

「おじいちゃんのこと教えてよ」

と言ったら

「俺なんも知らんよ」

と言ったの。

 


「どこの山で何を採ってたとか、どこかの長をやってたとか、

 いつもズボンのチャック空いてたとかの話でいいの」

と言ったら、付箋に思い付く限りを書いてくれた。

 


思い出を拾い集めると

おじいちゃんが出来上がるんじゃないかと思う。

 

 

義祖父が生きてる間に聞きたかったこと、

たくさんあったけど聞けなかった。

 


私が訛りを聞き取れなかったり、義祖父が耳が遠かったり

旦那が親戚の反応を気にしたりして、結局聞けないままになった。

 


私はお盆生まれ。

くうたもお盆生まれ。
お盆生まれはご先祖様に守られてる。

 

 


けど必ずうまくいくことだけが守られてるの意味じゃない。

 


ダメなときは

納得の行く方法でダメになるか、別の何かにちゃんと繋がっていく。

 

 

何も残さず途絶えた人も、ちゃんと私の人生に

影響という爪痕を残してる。

 


大伯父が戦争で亡くならなければ

祖父があの家を継ぐことはなかったんだ。

大伯父が生きていれば、祖父は帰国の船の中で知り合った人と農業をするため

山形へ行っていた筈で当然祖母と結婚することも

父が生まれることもなかった。

 

大伯父は海の藻屑じゃなかった。

 

思い出す人もなく、今や遺影すら無くなってしまったけど

大伯父の生きた意味は無じゃなかった。

決して歓迎される結果ではなかったけれど、多くの人が傷つくことになったけど

結果私が産まれてくうたが産まれた。

 


そう思うと

たとえ子どもができなくても私は無じゃないと思えた。

家系調査をしてみて、そう思えた。 

 


2人目に拘りすぎてる事だってきっとそう。

 

もしできなかったとしても、このトライは無駄じゃないし

どこかに何かしらの形で影響していく。

2人目ができないことにもきっとそれはそれで、いつか意味を見出せる。

そう思うと楽になれる。

 


不妊が辛くて頭おかしくなったって?

まぁそれでもいい 笑

 


さぁ、いってこよう

不妊外来。