happypig~障害夫婦生活雑記~

障害者夫婦なんて、世の中にそうある組み合わせで脊髄損傷車椅子旦那の夫と突き抜けすぎてる妻、そこにぽっこり産まれてきたこどもの生活を描ていきたいと思います ☆

1歳の子どもを抱えてガンかも知れないと言われた日のこと③切開生検手術

西日本豪雨の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

 

私の故郷も一切報道されませんでしたが

市街全域浸水しました。

少なくとも私が住んでた18年間はこんなことなかったのに、

いつからか毎年のように市街全域浸水するようになってしまいました。

 

地震に水害に火山噴火に冬場の大雪に…

日本、どうなってしまったんでしょうね?

 

江戸時代にも似たような災害が続く時期があったと聞きますが

医療も情報もレスキューも今よりずっと劣った時代に

生き抜いた先人には頭が下がります。

 

いまのこの時代に於いてさえ

生き抜くってサバイバル…

年負うごとにそう感じるようになりました。

 

今生きてること、

動けてることは当たり前のようで当たり前じゃない。

それを知れば知るほど臆病になるから、

子どもの頃にはそんなことには気づかないでしょうね。

 

ひとが忘却の生き物足る所以は、

忘れないと恐怖と不安で生きていくことができないからなのかも知れませんね。

それほどまでに自然は牙を剥くものだし

世界も社会も生きやすい場所ではないのかもしれない。

 

 

…って、何の話(´・ω・`)?

 

 

夏祭りの多忙さに頭が沸いた(´Д`)

 

 

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   * 

 

 

1週間の入院と言われましたが、

車椅子の旦那と2歳になったばかりの子どもがいるんで無理ですと言うと

術後何もなければ最短の3日間入院ということにしていただけました。

 

手術前日に私は1人、入院荷物をもって電車で病院に向かいます。

 

 

くうたは保育園に旦那と行き、

義母がお迎えに行ってくれ、そのまま義母宅に2泊する予定。

お泊り荷物は既に義母宅に搬入済み。

私は保育園に毎日行ってほしかったけど

義母の希望でくうたは義母宅で過ごすことに。

 

 

病院で病衣に着替え、その日はいろんな同意書にサインをし忙しく過ごしました。

ナースに腹部の異変について告げると

ドクターがやってきて、診察と腫瘍箇所のマーキングをし

MRIの指示が入りました。

 

1センチほどだったはずの腫瘍は

一気に大きさを増し、その速さにドクターも驚いていました。

もう明日の手術では取りきれないかもしれない。

取るとなると形成外科の応援が必要だが、今回その用意はできていない。

MRIで腫瘍をみて作戦を練るということに。

 

術前入浴を必ずするようにと言われましたが、お風呂の予約が6時枠しかなく

MRIも緊急の為、夕方いつ入るかわからないという状況。

 

5時頃MRIに呼ばれ、ナースがお風呂の心配をし始めました。

「間に合わなかったら男性の特殊浴室区切るので!」

え・・・絶対イヤ・・・・

 

昔施設に勤務していたころ、自分も浴室を区切る指示を出したことがあったことを

ふと思い出しました。

それを当たり前だと思っていた頃には気づかなかった。

自分が受ける側になると、不快だと気づく。

 

 

 

お風呂ぉぉぉ(´・ω・`)と思いながらMRI待合で待っていると

カルテを見ながら技師が来ました。

名前を呼ばれた声に聞き覚えがあり、振り向くと

ふと彼がカルテから上げた目と目が合いびっくり。

知り合いでした😱

それも彼が大学生の頃から知ってる、

旦那の車椅子バスケのチームのメンバー。

 

お互い笑いこらえきれず、ひと笑いしたあと

お風呂がギリギリだと言うことを伝えました。

 

 

「ごはんは?まだですよね。じゃ、ごはんとお風呂が危ういわけだ。

 あれ?なんで歯科病棟に入院?ベッド空いてなかったのかな。

 今日、お子さんは?じゃちょっと俺で申し訳ないけどお腹見せてね。

 プレート貼るね。

 造影だし、患部が動かないようにうつ伏せで行こうかと思うんだけどいいかな」

なんて軽い感じで言ってくる彼に、

張りつめていた緊張感を緩めてもらった気がします。

 

てか、今何つった?

あそこ、歯科病棟なの???

 

「終わりました~。

  じゃ明日がんばってくださいね~。

 あ、オペ室には○○(バスケメンバーのナース)がいるからねー♪」

彼のgood jobのおかげでギリギリでお風呂にすべり込めました。

 

お風呂後遅めのご飯をたべると

術前説明に呼ばれました。

 

ご家族は?と聞かれ

1人で聞きますというとドクターは1枚の紙をテーブルに置きました。

 

そこに書かれていたのは

➀悪性腫瘍の可能性

②デスモイド腫瘍の可能性

③異所性子宮内膜症の可能性

 

今回の手術は切開生検術で、全摘せず予定通り元の腫瘍の部分のみを摘出し

腫瘍が何者かを調べる検査手術にする旨が書かれていました。

 

「どれにせよ非常に珍しくて厄介な病気です。

 あまりに気持ちの悪い速度で増大していて、

 デスモイドでこんなに急速に伸びるかなぁと思ったのが正直なところ。速度から悪性も濃厚になってきてるかな。

 ますます開けてみないと何とも言い難くなりました。」

 

ドクターはそう言って手術の説明と可能性のある疾患の説明を

私がわかるまで丁寧にしてくれました。

 

単純切除でいいから全摘出をしてほしいと何度も言いましたが

「気持ちはわかりますよ。でももし悪性だったら、摘出したことが仇になる。

  悪性腫瘍を摘出する際の指標が無くなると、それこそ厄介だよ。

 今、良くない方向に進んでしまった残念なケースを色々思い返してる。

 全摘は勧めません。

 今回は腫瘍の性質をはっきりさせることに焦点を当てませんか?」

ドクターは増大スピードから、この時は悪性濃厚と疑っていました。

 

私はいまいち納得しきれないまま、

同意書にサインをしました。

 

消灯後寝ようとしていると

「もうねちゃいました?」と来たのはドクター。

マーキングがお風呂で消えてしまったことをナースに話していたので

再度マーキングしにきたそうで

この人、ずっと働いてない?大丈夫?いつ寝てるの?と心配になりました。

 

先生、いつ寝てるんですか?

 

 

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翌朝、絶飲食なのに朝食が来て

忘れっぽくぼんやりしてる私は食べちゃいました

 

吐いた方がいい?(過去の過食嘔吐で)吐きなれてるから吐けますよ?

とナースに言いましたが

ドクターから「一番遅い時間のオペだから問題なし」と回答がきたそうで

事なきを得ました。

 

朝一だったから

ドクター絶対、家帰ってないでしょ!と確信。

それで手術2件すんのかよー。

しかも私の前の手術は予定時間6時間だか8時間だかでしたよ。

 

点滴が始まり昼過ぎには旦那がきました。

待つのが嫌いな旦那ですが、今日は待つのが仕事です。

 

夕方呼ばれ、歩いてオペ室に向かいました。

手術台に寝かされ、バスケナースの○○はいないなーと思っていると

体はもうされるがまま。

 

ドクターが3人やってきて

名前と患部を何度も確認され、

主治医が準備しながら上司手術内容を説明していて、

麻酔医が研修医で頭の方でナースに

「あなたが麻酔科医なんだからあなたの判断でこの量で行くんでしょ?

 迷わないで指示してください。いいんですね、じゃこの量で用意しますよ?」

とか言われてて、あー可哀想だな。

てか、不安過ぎない?

なんて考えていたら

くうたがお花畑を走り回っていて、誰かに何か話しかけられて返事して

またくうたが走り回っていて、また何かに返事をしてを繰り返し

ベッドで移動する振動が痛くてたまらない。

 

 

移動中、ドクターが

「無事終わりました。迅速検査の結果ではほぼデスモイド間違いなかったよ」

と言っていました。

 

 

正式な検査結果がでるにはそれから1カ月近くかかりましたが

デスモイド腫瘍の確定診断に至りました。

 

 

結果私はガンではなかったけれど

それは私がガンにならないということではなく

たまたま今回引いたのが悪性ではない籤だっただけ。

 

デスモイドも悪性のようには急を要しないだけで

最悪のケースに繋がる事はないとは言えない腫瘍です。

 

先延ばしになっただけで

この先またいつ「ガンかもしれません」

震える日が来るかもしれないのです。

 

 

 

 かつては自ら死を選んで自殺未遂もしましたけど

焦らなくても人間、必ず死ねるんだから

今を自分らしく生きよう、

「なりたい自分になろう」(←麻央さん)と思ったのでした。

 

もちろん、精神疾患もありますし発達障害もあって

体も心もうまく操縦はできません。

結構、見た目より動けません。

 

 

サラリーマンの妻だし、3歳児の母だから

自由に風の吹くままに生きることはできないけれど

お金も発想力も人脈も何もないから

何かをできるわけじゃないけど、

人生はしんどいけど

私にしかわからないこと、私だから気付いたことを

発信するくらいは、できるのだと気づかされたのです。

 

ガンかも知れないと言われて、

私はそう思ったのです。