happypig~障害夫婦生活雑記~

障害者夫婦なんて、世の中にそうある組み合わせで脊髄損傷車椅子旦那の夫と突き抜けすぎてる妻、そこにぽっこり産まれてきたこどもの生活を描ていきたいと思います ☆

なぜ脊髄損傷男性に早めの精子凍結をすすめるか

1週間ほどくうたを連れて

地元に帰省していました。

 

不妊治療からも旦那からも日常からも逃れて

幼馴染と昔のように、

昔のままの感じで戯れて。

 

主婦業も母業も不妊治療も

何もかも、昔の私には想像もできなかった未来に来ちゃったな、今。

自尊心0の自分が

まさか結婚して母になり、もっと子どもを望むなんて…

 

女優・樹木希林さんの訃報を報せるワイドショーを見ながら

ふと、

普通なんてつまんないと思ってるのに

何で私は普通じゃないことに不安を感じるんだろう?

 

主婦の型、

母親の型、

社会的に生きていく型を

何となく自分で決めちゃって息苦しくなってるなと思いました。

 

だがしかし、

帰宅した途端、荒れ果てたキッチンに

荷物の片付けに、

バタバタしてるのに

子どもをお風呂にも入れてくれず寝ちゃう旦那にイラァ~(´Д`)

 

この家の大人は、二人ではないのですか?

もしや私だけなのですか?

 

 

質問箱に放置質問があったので

今日はそれをこちらでお答えしますね(文字数)


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現在私、2人目不妊治療中。

1人目の時より合併症も増え、

妊娠出産どころか不妊治療自体が寿命を縮めるかもしれないハイリスクとなり

(エストロゲン関連腫瘍(妊娠したらヤバい可能性がある)であり、同じ病気で不妊治療をした人の報告がおそらく日本には無いと言う状態です)

加齢も加わったことで1人目以上に

困難化している2人目不妊治療

 

 

もう2年、毎月毎月走り続けているのに

全く兆しなしです。

先日、ついに不育外来デビューしました。

 

 

不育症検査周期です。

(夫婦のどちらかが不育症の場合、着床しづらいことがある)

 

 

残凍結精子数3となり、もう崖っぷちにたたされている中

6月と8月に立て続けて流産をしました。

流産には種類があり、

妊娠超初期の流産を化学流産

心拍確認後の流産を稽留流産といいます。

(切迫流産は妊娠しているが流産しかかっている状態をさす)

私の場合は化学流産でした。

 

着床はしたけれど、すぐに細胞分裂が停止してしまった状態です。

不妊治療的には「かすった」と言うこともあります。

 

医学的には今化学流産を流産としてカウントするかどうか?

という議論の最中らしく、

現在は化学流産は医学的な流産とは言えないそうです。

 

妊娠検査薬さえ試さなければ

気づかないことが普通ですが

私は今後のデータとりのため、

また私の受精卵がいつ潰えたかを知っておきたいので

2人目からは移植翌日からフライングテスト(妊娠検査薬の反応目安時期より早くから早期妊娠検査薬を使うこと)を行っています。

 

だから気づいたとも言えますが、

不妊治療をしていると化学流産に気づくことは割りとよくあることです。

妊娠判定はもらったが、継続しなかったというような例が多々あるからです。

実際私も、1度目は妊娠判定日に妊娠反応を示していました。

 

 

流産だったこと、数日以内に流れることを伝えても

旦那は「そっか」としか言いませんでした。

 

 

医学的には妊娠ではないとしても

私の体には確実に妊娠時と同様の変化があり、

1度目の化学流産ではつわり様症状もありました。

体は確実に私以外の細胞を受け入れようと色々な症状を出していたのに

結局、赤ちゃんになることなく潰えていきました。

 

 

くうたは日々ぬいぐるみに愛を注ぎ

「ぼくの赤ちゃんたち💓」と言い

「ぼくは赤ちゃんがたくさんほしいから◯◯ちゃんと結婚しゅるよ」

と、7人兄弟の同級生を将来の妻に決め、

日々ぬいぐるみのお世話ごっこをして待っているというのに

待てど暮らせど産まない、気配すらない母。

 

 

人の受精卵を見たことがありますか?

高度不妊治療をしていると、

移植の際にこの卵を移植しましたと、

受精卵の写真がいただけます。

 

自然妊娠ではあり得ないことでしょうが

移植した卵はもう我が子同然に感じてしまいます。

(受精卵に思い入れしすぎるとあとが辛いから受精卵は受精卵にしか過ぎない!という方もたくさんおられます)

 

私にとっては我が子になる可能性の卵=我が子でしかないのに

化学流産となると「医学的に妊娠ではない」

つまり我が子を失ったのかすらよくわからないのです。

 

泣いていいのかどうかすら

わからないんです。

 

 

残りの凍結胚はひとつ。

凍結精子は3つしかありません。

もう、2人目不妊治療の終活をなんとなく意識し始めています。

 

 

現在35歳。不妊治療に約5年を費やしています。

私の人生の多くの時間を、不妊治療に費やしているんです。

 

不妊治療を始めると

生理周期に基づいて治療をするため

予定をたてても予想外・予定外の連続で

妻は明日の予定が決められない日々になります。

突然、「明日も来てください。明日これないなら今周期はキャンセルです」と言われます。

 

明日の予定が決められない日々が、

5年続いているんです。

 

 

2人目を諦めざるを得なくなったとき

後悔しないで、笑顔で自分にお疲れさまが言えるよう、

死に際に不妊治療頑張ったねって自分を褒めてやれるよう、

悔いを残さないよう必死になっています。

 

 

はっきり言って、無様で惨めだよね。

 

 

私の1番の後悔は、

なんで23で結婚したのに29まで不妊治療をしなかったのかってことですが

その6年がなければ、産んでも育てられる心身の状況じゃなかったから

必要な時間だったのだなと思うようにしていますが

やっぱりたまに思います。

なんでもっと早く…ってね。

 

 

可能性を片っ端から潰していくために

不妊治療をこなしてるような気さえしてくる、

崖っぷち2人目不妊治療。

 

 

夫婦2人のことなのに、

私1人が全力で走っている不妊治療。

 

このまま1人で頑張りさえすれば妊娠できるのだとしたら

私はいくらでも走るのに、死ぬまで走るのに

残念ながら、人は1人では妊娠できません。

 

あともう少しだけ精子があれば…

もう少し早く始めていれば…

デスモイド腫瘍にかかりさえしなければ…

なんて言い出せばきりがありません。

 

悔いを残さぬよう、

この病院でできそうな全ての検査を提案し

「果たして化学流産2回は不育対象に該当するのか…」

と渋る不妊外来のドクターたちに無理を言い

着床障害の疑いで

不育外来に紹介していただきました。

 

 

不育検査の間は不妊治療ができません。

その間も変わらず排卵し、貴重な卵を無駄にしてしまいます。

 

 

だけど、もう受精卵を無駄にはしたくありません。

くうたになった受精卵、

化学流産になった受精卵、

着床すらしなかった受精卵も

私はこの目で姿を見ていて、赤ちゃんになれと念じ、お腹にいれたんです。

くうたになった受精卵とその他の受精卵、私にとってはどれも等しく大事な我が子です。

 

 

諦めねばならなくなった時、

私は諦めきれるんでしょうか?

 

凍結精子が無くなった時、

もし再びTESEをしたとしてももう精子がなかったとしたら、

私は子どもを諦めきれるんでしょうか?

 

 

 

こんな思いを、精子が足りないがため

あなたの今の、又は将来の奥さん

させないで欲しい。

 

脊髄損傷による不妊だからといって不妊の原因が

夫婦共、他にはないとは言えません。

不育じゃないとは言えません。

 

 

どちらか、または夫婦両方が合併症を持っていれば

不妊治療の選択肢が狭まることがあります。

 

 

その時に精子がたくさんあればあるほど

治療選択肢が拡がることもあります。

 

 

だからもし可能なら、脊髄損傷等の男性には

1日も早く精子凍結をして欲しいと

切に切に思うのです。

 

 

自分が今まさに

経験してるから思うのです。

今ならまだ間に合うものを、

どうしてあなたは諦めてしまうの?

未来なんてわからないでしょう?

 

あなたの今の諦念が、

いつかあなたの大切なひとを

追い込むことになるんだよ。

 

私はそれを知っているから

精子精子と叫びたくなるのです。

私たちはもう

取り返しがつかないから。